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不当表示事件とJARO設立 法規制と自主規制の必要性

伊従 寛

弁護士、JARO審査委員会副委員長

景品表示法による規制の基本的な考え方

1968年末にも全広連で表示広告規制全般について講演したが、そこでは不当表示規制には、行政による規制と消費者による監視と業界による自主規制の3つが必要不可欠である。しかし、このうち行政による規制はマスコミが取り上げて世間の注目を集めるが、多種多様な不当表示を一網打尽にはできない。重大な不当表示案件を規制して公表することよって威嚇的・抑止的効果を上げるが、その効果も一時的であるに過ぎない。消費者の監視も対象は目についた商品に限られ、十分かつ網羅的な監視は極めて困難であり、その対策も規制官庁に求める場合が多い。


これに対して、民間の自主規制では商品を製造・販売・広告する企業が自らの手で自主規制を実施するので、民間業界がこの規制を自主的に推進するのであれば、この自主規制が実質的に最も重要かつ永続的効果を持つ規制である。従って、行政は、消費者団体の協力を得て、排除措置などを通して民間の自主規制体制を助長することが重要な任務であり、この地道な自主規制体制が整備・強化されることが肝要であって、景品表示法の規制はこの自主規制の重視の上に行われている、という内容のものであった。これは当時、実際の景品表示法運用の基本方針を説明したものであった。(『全広連シリーズ11 景品表示法と運用について』1969年2月、全広連)

民間自主規制の場合には、参加事業者はその商品の販売について、同業者との厳しい競争の中で消費者ニーズに適応するように価格品質の改善に注力している。この面の消費者のニーズの情報も、またこの商品の販売促進の手段である広告表示の情報も、さらに反対に消費者の騙し方の情報も、最も豊富かつ的確に持っており、その情報は一般消費者や行政官庁の場合よりはるかに豊富である。従って、この事業者が同業者と一緒になって誠実に広告表示を適正にする自主規制をすれば、それは消費者のためにその業界の長期的発展のためにも最善の対応策であることは明らかである。私の経験では、役所の不当表示の規制のための最も的確で重要な情報のほとんどは、不当表示により不利益を受けた競争者・取引先などの事業者からの情報であった。

そもそも欧米の不当表示規制は、沿革的には、善良な事業者の誠実な事業活動を不当に侵害する民事法上の不法行為(不正競争行為)として取り締まられてきたのであり、消費者保護法と認識されたのは米国で第1次大戦後のことである。

消費者基本法の制定

1968年5月に施行された消費者基本法は、事業者の責務として「消費者に対し必要な情報を明確かつ平易に提供すること」(5条1項2号)を定め、国の基本的な政策として、「国は、消費者が商品の購入若しくは使用又は役務の利用に際しその選択等を誤ることがないようにするため、商品及び役務について、品質等に関する広告その他の表示に関する制度を整備し、虚偽又は誇大な広告その他の表示を規制する等必要な施策を講ずるものとする」(15条)と規定し、また「国は、商品及び役務について消費者の自主的かつ合理的な選択の機会の拡大を図るため、公正かつ自由な競争を促進するために必要な施策を講ずるものする」(16条1項)と規定している。


景品表示法および独占禁止法は、この施策に該当するもので、消費者政策の重要な法律として位置付けられている。


当時国会でも「物価問題等に関する特別委員会」が設置され消費者政策を推進しており、砂田重民議員(自民党)らが中心となって、与野党共同で消費者保護の問題を扱った。両法は積極的に支持されており、私は景品表示法の運用に関してしばしばこの委員会に呼ばれ質問に答えた。

私の景品表示課在任中は、このように消費者保護行政が高揚した時期で、非常に規制がやりやすい時代であり幸運であった。

米国BBB調査団とJAROの設立

広告業界の米国BBB調査団派遣

BBB視察風景(左)と電話受付中のBBB担当者(右)
(『BBB調査団報告書』から)

1969年4月に、私は景品表示課長から国際課長に移った。景品表示課には丸3年勤めたことになる。その後、広告業界では、1970年5月に23名から成る米国BBB調査団(団長は島崎千里電通専務取締役)を派遣することとなった。私の直接の上司であった柿沼幸一郎元取引部長が、公取委委員として参加した。

また、景品表示法制定から5年間、公取委委員(1962~1967年)であった日銀出身(文書局長)の佐久間虎雄委員が、退官後東京広告協会・全広連顧問(1969~1975年、JARO創設後同機構顧問〔1975~1976年〕)となって米国BBB調査団に参加した。どちらも景品表示法と広告の自主規制の問題については十分な知識を持っていた。

米国BBB調査団は、1970年12月に124ページの報告書を公表して解散した。この後、広告の自主規制団体の設立の動きが始まり、当初は「日本BB協会」という名称で準備が進められていた。

JAROの設立

広告業界では、米国BBB調査団の報告書公表の後、1971年1月に「消費者問題懇談会」(代表・河口静雄全広連理事長)が設けられ、広告自主規制機構設立の準備に入った。同懇談会は同年12月に全広連の事務局である東京広告協会に設立準備を提案し、同協会理事会はこの機構の準備のため、1972年2月から全広連広告倫理委員会のメンバーを20名に増やして、作業を具体的に進めることとした。

同委員会は同年9月1日に、中間報告として「公正な取引を推進する民間企業の自主規制機構ベター・ビジネス協会(仮称)について」を公表し、それは全広連の河口理事長名の「ベター・ビジネス協会(仮称)設立趣意書」とともに、日本新聞協会、日本広告主協会(現日本アドバタイザーズ協会)、日本広告業協会、日本民間放送連盟など広告関係4諸団体に配布された。

同年末には各団体の同意が得られ、派遣メンバーの人選も終わり、1973年2月には日本BB協会設立のための拡大倫理委員会が発足、これが同年4月に「BBA(仮称)設立準備委員会」として発足した。その後、自主規制機構の名称を「日本広告審査機構」とすることとし、同年12月18日に第1回「日本広告審査機構設立準備委員会」が行われた。

1974年8月28日設立総会

以上の準備を経て、1974年6月10日に日本広告審査機構の設立発起人会が開かれ、同年8月28日に設立総会が開かれた。総会では口設立準備委員長から設立の趣旨と経緯について説明があり、設立決議が行われた。総会には米国BBBの全国広告審査委員会であるNARB(National Advertising Review Board)のベニー・L・カス委員が出席して祝辞を述べている。

私は1969年4月に景品表示課長の職を離れており、1971年の米国BBB調査団の派遣やJAROの設立について直接関与していない。しかし、これらに大きく関係した全広連とは景品表示課在任中に密接に接触しており、JARO設立に関係された広告関係のほとんどの方々と広告自主規制機構の必要性を話し合って、米国BBBのこともたびたび話題になっていたので、その意味では米国BBB調査団の派遣やJAROの設立には間接的に関係したともいえる。

米国BBB調査団報告書の序文で、島崎団長は報告の内容を極めて簡潔かつ的確に紹介しているが、同時にこの調査団の派遣は、「単なる見学や視察旅行ではなく、日本の産業界が長年なすべくしてなし得なかったこの奉仕機関を期待したからに外ならぬ」と強い信念と期待を述べている。これを見ると、BBB調査団の派遣よりかなり前から、広告業界には広告自主規制機構の構想があったと推察することができる。島崎団長のこの信念が景品表示法の制定と運用の時期に強められたものと考えられる。

JAROは、設立後40年間に、静かで誠実な説得による不正広告の排除という地道な活動を通して、消費者の利益と自由私企業体制に対する消費者の信頼の向上に献身的な活動をしてきたが、今後ますますこの奉仕活動を発展させることを祈念してやまない。広告における不正を企業が自ら排除して企業に対する消費者の信頼を獲得することが、自由企業体制の重要なインフラストラクチャーであることを、より多くの企業が認識して、JAROの奉仕活動を支援することが必要である。JAROは、わが国の自由企業体制の良心であり、その最強の砦である。

伊従 寛(いより・ひろし)

略歴
1953年東京大学法学部卒業。公正取引委員会事務局入局。審査部長、事務局長、委員。1993年中央大学法学部教授、1998年弁護士登録、2000年あさひ法律事務所顧問、2007年坂井・三村法律事務所(現ビンガム・坂井・三村・相澤法律事務所)。1998年勲2等瑞宝章受勲。JARO審査委員会委員。

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