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私が関わったJARO設立

伊東光晴

京都大学名誉教授、JARO審査委員長

 

JAROの初代審査委員長の人選

第1回審査委員会(1974.11.28)
※事務局注:左から3番目が有澤氏、右から3番目が伊東氏

今、思い出せば、それが日本広告審査機構の最初の一歩だったのかもしれない。朝日新聞と読売新聞の広告局長が、2人で私の家に見えたのである。お会いするまで何の話か分からなかったが、読売の広告局長が、新聞広告の現状を詳しく述べられたのを覚えている。

なぜ私の所に来られたのか分からないが、恐らく、ガルブレイス的な広告論(広告が欲望を作り出すという考え方)を書いただけでなく、「墓穴をほる欺瞞広告」という題で、アメリカの例を引いたものを『週刊朝日』の連載の中で書いたからであろう。

お2人の話は、スポンサーの要求に対して、広告の真実性と質の確保を図るためにどうしたらよいかということに落ち着いた。私は以前に、とあるテレビ局の社長とお会いした時、雑談の中で、新聞よりもテレビの方がスポンサーの要求が強く、質の低下を招きやすいというテレビの実情などをお聞きしていたので、お2人には「それはテレビに、より必要なことでしょう」ということを話したように思う。

どうしたらよいか。ガルブレイスにいかれていた当時の私は、消費者を守るには、消費者の前にこれを守る組織をつくらなければならないように、広告媒体の前に、これを守る組織が必要であることを述べた。そして当時、私も関係し、経済企画庁で盛り上がっていた消費者行政―国民生活局が行った医薬品や健康食品に対する広告通りであるかの検証など数々の試みと、イギリス、アメリカの事例を話し合った。

もし組織をつくるとすると、誰をトップにするのがよいか。これが話の最後だった。私は第二次物価問題懇談会で、中山伊知郎、有澤廣巳、都留重人先生の下で事実上の事務をやっていたことから、有澤さんならば気楽に引き受けてくださるだろう、もしよければ内々に当たってみようということになった。

当時のメモも何もなく、ただ思い出すままに書いた。これがJAROの出発点になったのかもしれない。

伊東光晴(いとう・みつはる)

1951年東京商科大学(現一橋大学)卒業、1956年同大学院特別研究生修了。京都大学名誉教授、復旦大学(中国)名誉教授、福井県立大学名誉教授。紫綬褒章、日本広告審査機構審査委員会委員長。